今川貞世・渋川満頼・一色直氏

今川貞世は、鎌倉時代後期から南北朝・室町時代の武将、遠江の守護大名、室町幕府の九州探題。

歌人としても名高い。

法名は了俊で、今川了俊と呼ばれることも多い。

没年は異説あり。

幼少時は不明だが、父に従っていた記録は残り、12、3歳頃から和歌を学ぶ。

足利家内部の対立から将軍の足利尊氏と弟の足利直義の両派の抗争へ発展した観応の擾乱においては、父とともに将軍側に属する。

直義派や南朝勢力と戦い、55年には細川清氏とともに東寺合戦で戦う。

幕府執事となった清氏が61年に失脚して南朝に下ると、父の命で講和呼びかけのために遠江から召還される。

軍事活動のほか、遠江や山城の守護職、幕府の引付頭人などを務め、67年に2代将軍の足利義詮が死去すると出家。

3代将軍足利義満時代の1370年・建徳元年/応安3年頃に、管領の細川頼之から渋川義行の後任の九州探題に推薦され、正式に任命された。

観応の擾乱後に南朝方の菊池氏が懐良親王を奉じた征西府、将軍尊氏の庶子である足利直冬などが分立し、征西府が少弐氏を撃破して大宰府を占領。
update:2010年03月11日